遥かなる君の声 V R

     〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 



          19



 王城キングダム主城の中庭、内宮の中にある特別温室にて。大地の精霊であるドワーフに、アクア・クリスタルを鋳込んだ特別な聖剣を錬成してもらっていての待機中にあったものが…そこからのあまりに唐突な事態の急転。彼をこそ救い出したいとしていた“白き騎士”本人が現れて、何の動揺もないままの、それは鮮やかな手腕にて。グロックスを奪還したその後を追い、時空跳躍で一足飛びに此処へと飛び込んで来てから…まださして時間は経っていない筈なのだが。
“何時間も経っている もう夜中だって言われたって、納得いくってもんだよな。”
 何しろ此処は周囲が完全に密閉された地下窟空間であり、昼間の明るさは勿論のこと、空気の流れさえ遮蔽されていて。しかも人の生活形跡もないままでもあり、言わば…古代からの“時間”がそのまま封じ込めてあったようなところだから。
“まるで墳墓の隧道か石室ん中にでも居るみてぇだよな。”
 縁起でもない例えはやめて下さいな、蛭魔さんたら。そんな引用を持って来るとは、さては不吉なものでも感じ取って、ついつい弱気になったあなたなのでしょうか。
“笑えねぇジョーク、飛ばしてんじゃねぇ。”
 はいはい、強気なまんまだって訳ですね。時間の経過が曖昧になりかけかねないのは、そんな周囲の風景や動かぬ大気のせいだけではなく。日頃から強靭が過ぎるほどに確かなその意識をもっての集中で高められし戦意の丈を、一気に発動させての戦闘態勢へとなだれ込んだ彼らだったから。これを取り逃がせばもう後がない追跡とそれから、防壁として立ち塞がりし…向こうもまた必死だっただろう炎獄の民を相手にしての連戦という、一気呵成の緊張状態はあまりに濃密だったから。それがどれほどの時間を費やしたものかなんて、肌合いや感覚だけでは到底 測れるものではなくて。

  ――― ただ。

 これだけははっきりしているのが。それが途轍もなく永い永い一瞬だったのか、それとも刹那ほども短い永遠だったのか。あまりの永らくを、いいように蹂躙され続けた人々が、いよいよそれを断じるときを迎えたらしいということ。

「人の歴史が始まったばかりという、そんな頃合い。陽白の一族がその“最後の仕事”として構えた仕儀があってな。」

 そこに居合わせた誰へともなく語って聞かせ始めたは、厳しい環境下において統率された行動を取ってた中の一員にしては…ドレッドヘアなんてな洒落た髪形をしていた屈強そうな青年で。傍らに並び立つ兄上と同じいでたち、異国のそれだろう詰襟の長い道衣を、その堅さに着込まれず鎧われず。余裕の力強さで颯爽と着こなしており。心落ち着けて聞いてみれば、なかなか深みがあっていい声をしている彼だと、今 初めて気がつけた。髪形のみならず、言動や何やまで結構奔放そうだったそんな彼もまた、その生きざまの核に据えていたもの。自分たちの始まり、祖が負っていた…悲劇。

「新しい世界、陽の大地を人間へと委ねて、それから。陽白の者らも諸共に“炎獄の民”を地上から一掃せんと、正に捨て身でかかった“殲滅の咒”が発動された。」

 世界を混沌から分かつたとされる、一条の閃光を巡っての“聖魔戦争”の最中にあって。その働きは誰より何より秀でて素晴らしく、大したものだと誰もが頼りにしたものだったが。そんな悪夢のような戦いが終焉を迎えてしまい、平和な世になってしまっては、どんな怪力もどんな太刀捌きももはや無用の長物でしかなく。特化された分だけ より危険な存在になってしまったところを、厄介なこととして、はたまた憎々しげに、一般の民草たちから一線引いて警戒される対象と化すまでには、さしたる時間も必要ではなく。単なる規格違いから来る問題なのだろうということで、それなら住む場を引き離そうとか何だとか、そういった画期的な妙案が出される前に、

  ――― お互いの間に不審が芽生えてしまったから。

 何が直接の発端だったのかは、それこそ記録も何も残ってはいないので分からない。ただ。聖魔戦争の終焉で自分たちを守ってくれた“陽白の一族”の方々を、補佐し護衛した一族だったから。だからこそこれまでは大目に見ていたが、これではあんまり酷すぎるというような何かしらの無体が起こり、それで人間の民らが蜂起しそうな気配がとうとう起きてしまったが故に。そして、そんな気配が伝われば、反省するどころか…何の猪口才な返り討ちにしてくれるというような、そんな危険な意識が易々と盛り上がってしまいそうな土台というか素地というかが、炎獄の民の側にも小さくはない鬱憤として膨らみつつあったが故に。これでは再び、あの…途轍もなく悲惨だった聖魔戦争と同じほどの規模の戦いが繰り返され、地上はまたしても悲哀の涙と怨嗟の叫びに塗り潰されてしまいかねないという危惧に、陽白の一族の方々は皆してお心を傷められ。

  ――― これこそが、
       負世界へと追いやられし魔物たちの残した置き土産と見るべきか。

 このままでは、咒力もなく腕力でなぞ到底敵うはずのない人間たちがあっさりと滅ぼされるのは目に見えて明らかだったし。魔物たちを追い払った陽世界に満ちるべき住民は、聖なる一族の血統を引いた自分たちや、そこから派生した炎獄の民であってはならなかったので。かつては協力し合い助け合った者同士が、そんな相手を心底憎んだその揚げ句、取り返しのつかない凄惨な戦いを勃発させてしまうその前にと。陽白の一族の皆様が構えられたのが、その“殲滅の咒”とやらで、

  ――― 裁きの雷霆

 炎獄の民らを自分たちと諸共に滅ぼそうと企んで、念じの檻にて囲い込み、天空から降らせたまいし裁きの雷光。そんな絶対絶命の脅威から、せめて一握りの存在だけでもと何とか庇い、命からがら大陸の外へと逃れさせたのが“宗家”の者だったそうであり、
「その時のそんな行為への罰なのか、代々の後継者には頭に雷霆のような痣が浮かぶ…のだそうだの。」
 そこまでを代弁して差し上げたドレッド頭の青年が、なのに…締めくくりの段に至って、鼻先で軽く嘲笑って見せたのは、

  「そうまで壮大な言い訳の準備がおありだったなら。
   だったらどうして、ゴクウを手にかけた。」

 薄暗い窟道、幾間かの距離を隔てて相対するは、いかにも仰々しき装束をまといし老爺が一人。今更ここから何処ぞへ逃げても詮無しと思うたか、その先に垂れ込めていた鬱蒼とした漆黒の中から、そろりと数歩だけを踏み出して来ておいでで。枯れ枝のように指や拳が骨張ったその上へ、乾いた薄皮の張り付いた、いかにも老いた手が握りたる、これもまたそれは仰々しき錫杖を。ともすれば愛しむようにも見えかねぬ、強い視線で見やることで示して見せた阿含は、
「そこへ仕込みになってた剣で、不意を突いての一刀両断とはな。不敬を叱りたきゃあ、衆目の前にての見せしめの刑にすりゃあよかったんじゃあねぇの?」
 そうと続けて、それから、
「本当にありがたい聖痕だってんならば、たかだか小童っぱからの、しかも中途で行方を晦まし、脱落したとされてたような者からの指摘なんざに、怖じける必要なんてなかったんじゃねぇの?」
 その語調には、切りつけるような、若しくは重々しく凄んでの強さ怖さは一切ない。なのに、訊いているにも関わらず、下手な言い訳や抗弁は許さないとする、伸びやかだが油断のない気配のようなものが隈なく張り詰められていて。

  「しかも、会話を聞いていた一休まで手にかけた。」

 かすかに顎を振りまでし、後方へと視線を送ってしまった彼だったのは。背後に立っている桜庭が、治療をしながらその腕へと抱えて来た少年を指しての思わずの所作。口封じだからこその容赦のない攻撃を受け、瀕死の怪我を負わされながらも、その報告をこそと待っている阿含に伝えねばならないと。こんなとんでもない“真実”の存在に気づき、そこからは…仲間やただ一人の身内である兄にまで心を偽って、なまじ強い人であるからこその、我慢に我慢を重ねた途轍もない苦悩を抱えたままでいる彼を早く解き放ってやりたいと。こんな…移動の咒も伝信も使えず、足元も心許ないところへまで、頑張ってその身を運んで来た彼の健気さを思うと。ここまで頑健にも保てていた冷静さも、いよいよの憤怒の弾ける予兆か、慄
わななき震えてしようがないらしく。

  「それはつまり、
   心覚えのある疚しき何か、広められては困るからじゃあねぇのかな。」

 もはや断言以外の何物でもないような、そんな訊きようをする彼であり。その傍らに立つ兄上も…こちらは冷たい無表情なまま、終始無言であったれど。
「………。」
 相手をそのまま射貫くような、それは強い視線であることが、やはり。淡々と語ってみせた弟と同じ感情を、同じ怒りを抱いていることを如実に表してもおり。兄は静かに、弟は巧妙な剽軽さにてカモフラージュして、これまでずっと保っていた、過ぎるほどもの冷静さ。彼ら兄弟が…いかに強かな心根を保てる人物であるのかの証しであったとしたならば。様々な感情を押さえ込んでいたのだろう、その強固な箍が外れたならば、どれほどの怒りがほとびるものなのか。

  “他人事として傍観してちゃあいかんのだろうが…。”

 敵対組織の内紛の勃発を、対岸の火事のよな感覚で眺めているばかりな王城サイドの皆にしても。どうやら自分たちは巻き込まれただけのことらしいからと、彼らで潰し合ってくれりゃあ…なんてな方向で片付ける気なんて毛頭ないのだが。あまりに唐突な話の流れの急変には、ついのこととて大局を確かめたくって黙してしまってもしようがない。ただ、これまでの流れと、それから。こんなぎりぎりの急場にて、幹部がやってのけんとしている“どんでん返し”の元となった、彼へと齎されたる新情報とやらとを推考すると、

  “こやつが真の敵だということか?”

 今回の事態が、この…我らの尺では追いつかぬほどもの永の歳月を生きながらえてる“奇跡の存在”らしき老爺の、その頭から出でし企み。それも…とんでもなく長い歳月を厭いもしないで紡がれし、炎獄の民の方々を手先にしての策謀であるというのなら。自分たちにとっても、看過してはならぬ事態の発覚であるのでは? だが、となると…。

  “………この爺ィ、常人ではない、ということになるが。”

 こんな口の悪い人が、すいません、少なくとも二人もいる王城サイドの方々の、思惑のその真近にて、

  「…やれやれ。」

 さっきも聞いたしわがれた声が、間違いなく…その老僧の口から紡がれる。
「永の歳月、その身をもって信じ通して来れたこと。それこそが絶対の真実であり、もはや“信念”でもあったろうことを。ひょいと放られたほんの一言でこうも容易く覆されるとはの。」
 何とも浅はかなと言いたげなお言いようは、いかにもな窘めの気色を帯びており。こういう…導師や僧侶という立場の、しかも年経た者が、説教として口にしても不自然ではない、もっともらしい諭しではあったけれど。
「説教ならさっきも垂れてたな、ご老人。」
 蛭魔が、こちらもいかにも挑発的な尖った声音で言い返し、
「光の公主やそれを護りし騎士に向け、難儀な身だとは思わぬか…と。勝手な言い草を向けておったが。」
 その身にまといし黒衣が、なのに。周囲の漆黒に霞みもしないで、むしろ闇を弾いて冴え映えているのは。その痩躯に満たされし活力の、バネの利いたコシの強さがあってのことで。そんな彼がうっすらと笑い、

  「もしかして、お前様。人間じゃあなかろう。」

 何十年も前に、既にご老体であったところを目撃されていた老爺。その時もやはり、既に導師クラスの存在だったらしいとの証言を得ている阿含が、視線を強めたその先で、

  「まあそうかの。これまで何代の“月の和子”を見送って来たことか。」
  「………っっ!!」

 蛭魔と炎獄の兄弟以外が眸を剥くほどギョッとしたその中、しゃあしゃあと言ってのけた老爺であり、
「正確には、気配を、だがの。」
 それももはやどうでもいいことだと言いたげに、くつくつ笑って付け足したが、
「そんな…。」
 自分もまた、その“月の子供”だったセナには、当然のことながら笑い事では済まされない。陽白の一族が後世の魔族による危機に対することが出来るよにと、転生の用意をしたとされる魂、光を束ねる和子。そんな危機的事態に陥ろうという気配に反応し、世に出るとされながらも、あまりの無垢さから魔の使いからの妨害に穢されることを恐れ、相殺されては次の世代へと送られ続けたその存在を。知っているだけでも大したもの。信じ難いがとんでもないレベルでの長命を隠し通して来た人物であるらしく、しかも、

  「闇の咒に通じてるなんてもんじゃあねぇ。
   正真正銘の負界の存在、闇の者だな、あんた。」

 こちらはそのままでも十分に、漆黒の闇に映える白い顔容。金の髪に淡灰色の光を凝縮したような浅い色合いの眸という、いかにも光の側の麗しい風貌を大きく裏切って。殊更凄ませた低い声にて、黒魔導師殿が言ってのけたは何とも恐ろしき文言。突きつけられた当の本人以上に、
“…え?”
 セナや葉柱が驚いて、それはギョギョッと眸を剥いて見せたものの、
「他の大勢とは異なる存在。難儀な身、相容れてはもらえぬ何かを持つ特異な身。それを苦だと、一度でも思わなんだか?」
 老僧はさして表情も動かさぬまま。先の自分の言いようを繰り返すのみであり、

  「………いっそ、こちらへ下れば良いのだ。」

 ここで初めて、うっすらと笑って見せた。
「過去の因縁に縛られ、身動きもままならぬ苦痛を、誰にも分かってはもらえぬ身であったろうに。」
 一種 神憑りな因縁を、よくよく刷り込まれていた炎獄の民の末裔たちだけじゃあない。何も知らないまんま、たった一人の異分子として、なおの孤独に置かれていた存在は…セナや進以外の顔触れにも居たりするから。
「………。」
 老爺の言いようには、そこにある道理を理解出来るからこそ撥ね除けられないような、心の襞をめくり上げ、隠していたもの晒す種の、いやらしい棘を含んでもいて。やはり…特異な育ちを強いられた一人である、金髪痩躯の導師殿が、かすかに歪めたその口元、反駁を繰り出すべく、がっと開きかけたその間合い、

  「独りなんかじゃなかった。」

 たじろぐこともないまま、静かな声で真っ先に言い放ったのは、意外にもセナであり。
「ボクには まもりさんがいた。進さんにはシェイド卿や高見さんが、蛭魔さんには桜庭さんや泥門のお師匠様がたがいた。」
 子供のような懸命真摯さで。だからこその純粋な想いを載せて。セナは真っ直ぐな声を紡ぐ。自分たちは確かに、普通一般の方々に比すれば、かなりがところ特異な存在だったかも知れないけれど。でも、決して独りぼっちじゃなかった。卑屈にならなくたっていいどころか、そうなんだってことを随分と気づかなかったくらいに。寂しいのも異分子だってことさえも、すっかり忘れておれたほどに、温かく見守ってくださった人たちがいた。ある人は不器用な暖かさで、またある人は全身全霊を掛けての責任感と愛情で。あなたが好きだよと、何にも怯えなくていいように守るからと。暖かいようにって一緒にいるから見守ってるから、だから…安んじて微笑っててねと。理解し、包んでくれた存在が確かにあったから。
「炎獄の民の方々だって。此処まで来て、それでも暴発はしないで踏みとどまれていたのは、仲間の皆さんがいたからだ。」
 おやと。雲水が、そして阿含が、その眸を見張る。そんな彼らからの視線を受けて、
「このままだと間違った方向へなだれ込んではいなかろうかって。ギリギリまで粘って真相を確かめてた人がおいでだったなんて、ボクもびっくりしました。」
 あんなに怖くて憎かった人。そんなに頭数は居なかったのに、それは鮮やかにお城の守りを突破した。術の力も腕力も、自分なんかよりも巧みで強かで。でも、だったらどうして一気に叩き伏せなかった? 蛭魔さんや他の皆様はとうに不審がってたこと。とんでもないほどの達人だってのにどうして。厄介な導師たちを少しずつ削ってでも、進やセナを無防備にしなかった? 何から何まで嫌らしいくらいに周到だった割に、どうしていざという実行では正攻法でばかり当たって来た?
「実際に動き出してた段階にまで至っていても、翻弄されないで頑張れたのは。血気に逸らず冷静でいられたのは。自分だけの身に起きてることじゃあなかったからでしょう?」
 やっと判ったの。未熟な自分がおろおろしていても、何とか事態に振り切られないでいられたのは何故? まさかにこちらへ気を遣って下さった訳ではなかろう。だったら?
「仲間の皆さんを傷つけたくはなかった、何も知らないままに罪を負わせたくはなかったから。だから…その強さでもって全部を支えながら、防壁になって、諦めないで、待っていられた。」
 か弱くてか弱くて何度も何度も折れそうだった自分と違い、なんと強靭な精神力の持ち主であることかと。こちらも今はしっかと見張った視線にて、炎獄の一族の頼もしいお兄様がたを見やったセナであり、

  「…まぁね。」

 阿含がひょいっと肩をすくめる。
「俺らの生まれて育った国は、文明が進んではいたが、そうやって便利だった分、色んなところが腐ってもいた。」
 便利になった分、余った時間の使いようが判っていなくて。怠けることばかりを覚えてしまったその結果、自分の向上よりも他を蹴落とす術にばかり長けてるような奴らこそが、踏ん反り返ってたような国だったから。
「だから、小理屈では歯が立たぬ天変地異にて滅びたのも、言わば天罰みたいなもんかもって思っていたけれど。」
 根無し草も同様な身だったから、これまでだって不本意にも、成り行きに翻弄され続けて来た自分たちだったけれど。この世代に一気に起きた色々はちょっと、レベルが違い過ぎはしないか? それが少々引っ掛かって、そして。
「暗黒の太守なんて知らないし要らない。むしろ戻らなければ虐げられることもなかろうに、最初に救助された陽雨国から、どうして…故郷とはいえ もはや居場所もないこの大陸へまで。わざわざ全員で戻らにゃならないのか。そんなことを怪訝に思い始めていた頃に、僧正様へのものだろう、何とも気になる風聞を聞いたもんでね。」
 今度は向かう先へと顎をしゃくり、あれがその“僧正様”だと示した阿含が…実際に動き出そうと思った、その一番の切っ掛けを思い出す。陽雨国の元士官のこぼしてた世迷いごと。何十年も前に遠い他国で見たという“亡霊”の話。それが何とも気になってしようがなくって。ダメモトで…にしては諦め切れない想いから、本当は自分で皆から離れて確かめるつもりでいたのに、
『ダメだ、そりゃあ。』
『そうだぞ、阿含には残っててもらわにゃ。』
 人にも土地にも縁のない、頼る者のないこの外国の地で、誰が皆を守ってくれるのか。しかも、下手を打てば僧正様が最も危険な存在だっていうのに、
『いいか? 自分にしか出来ないことがあるのなら、それをまずは選べ。』
 人より抜きん出ている者の、言わば義務みたいなもんだぞと、一番に親しくしていたゴクウやハッカイたちから諭されたのが、今から…何年前になる話やら。
「…そうだな。俺一人だったなら、どんな裏があろうとなかろうと、どうでも良いやって放っておいたのかもしれないな。」
 気に入らないなら動かなきゃいい。加担しなきゃあいいまでのことと、高を括れもしたろうが、

  ――― 仲間がいたから。

 自分みたいに強い者ばかりじゃあないから、皆へ目を配っといて守らなきゃ。何も知らないまま、先走って要らない罪に手を染めぬように手綱を取らなきゃと。気まぐれ者としての勝手気ままな振る舞いの陰にて、皆から一歩離れることで…それらを貫徹して来た彼であり、
“あっさり見抜かれちゃったねぇ。”
 見てもないのだろうにねと。相手側のそれは可愛らしい主君へと、阿含がくすすと苦笑ったその空気へと重なって。

  「やれやれ、じゃの。」

 再びの嘆息をついて見せた老爺は、
「怪しきネズミはやはり貴様であったのか。」
 自分への畏れもなく、それぞれの得物を構える阿含らへ向けて。もはや演技の影も無い、強靭な視線を真っ直ぐにかざし、
「儂の力、最も強く浴びし証しのその炎眼が、何か察してしまったのかも知れんよの。」
 明かりの乏しき中にあって、無表情な顔に恨めしげとも取れる陰影が浮かぶ。そんな言いようへ、
「な…。」
 唖然としたのが雲水ならば、
「そっか。そういう仕組みだったとはね。」
 こちらは飄々としたまま、眉を少しだけ上げて見せる阿含であり。
「こっちの思うところも伝わるんじゃないかって、それが不安ではあったけど。こっちが読めないのと同じくらい、そこまで直
チョクでもなかったらしいね。」
「ちょ、ちょっと待て。」
 今のやり取りって…どういうことかと。愕然としたのは雲水だけではなかったが、
「闇の咒の影響を受けたからこその赤い眸だって、筧さんもドワーフさんも言ってませんでしたか?」
 そうではないなら…どういうことだろうかと、セナがおろおろしだしたが、
「そうではないんだろうさ、きっとな。」
 どこまでやりたい放題をしてやがったのやらと、蛭魔がいかにもな嫌悪にその表情を尖らせた。炎獄の民の中、特に式神からの影響を受けたろう召喚師
サマナーのみに見られた特長…な筈だったが、

  「あの爺ィが、恐らくは自分の力の大きさや性質を隠すため、
   適当な一族の者らへと分散させて持たせておいたのだろうて。」

  「…そんな。」

 よもや魔物ではないのかと突きつけたのへ、否定はしなかった長命の老爺。他所の土地でならいざ知らず、この大陸へ戻って来たからには、そんな存在、神官や導師などなどにその悪しき気配を探知されるに違いなく。
「大方、そのまんまじゃあ自分らへと雷を落とした陽白の一族に居場所を探られようからってことからの、姑息な隠遁術だったんだろうけどもな。」
 何とも見下げたもんだと、いかにもな うんざり顔になった蛭魔の言いようへ、
「それだけじゃあない。」
 重なった弟の声の強さに、雲水がはっとしたのは、
「………まさか、行方が知れなくなった年長者たちは。」
 先程、一休が急の報せを持って現れたその時に、その話を持ち出した弟ではなかったか。一体どうして、まとめて消息が知れなくなった彼らだと思うかと。

  「預けたものを返してもらっただけじゃがの。」

 ぐふぐふと。口も動かさぬままに笑った老爺で。
「まだ全てを回収した訳でもないのにの。長の歳月かけて、何代にも渡って練り上げられし力の、何と濃密で強靭なこと。」
 軽く持ち上げた錫杖の先、幾つも通された金色の鐶をしゃりんと鳴らせば、周囲の空気の密度がざわざわと不吉な動きを示して、
「この聖域でも邪妖が呼べるほどじゃ。」
 老爺の周囲、まるで古木の周りにキノコがムクムクと生え出したかのように。丸っこい頭の何物か、地面からじわりと姿を現す。小さな公主様の腕へと抱えられたまま、聖鳥の仔猫がそれらへと低く唸って見せ、
「…そんな。」
 ここは聖処からの気脈が、それも主城からの主幹流が通っている場所なのに? 咒による次空跳躍や召喚は出来ない場所のはずだのに。息を飲んだセナを、進がその懐ろへと引き寄せて。阿含や雲水の後方とはいえ、蛭魔や葉柱が、そして殊勲の坊やを抱えたままな桜庭が、それぞれの剣を手に手に構える。只者ではないことが…闇の眷属らしいと判明したのみならず、途轍もない力をも持ち得ることを覗かせし老僧は、

  「ましてや、時が満ちておるからの。」

 不気味なマッシュルームのように、ムクムクと膨らみ、次々に立ち上がる小物の妖魔たちに囲まれて。錫杖の先の中空に、グロックスを留めたまま、にやにやと笑って見せたのだった。









 
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  *キリのいいところというのがなかなか見つからず、
   結果、中途半端なところで切ってすいません。
   阿含さんたちも加わったらとんでもなく大所帯になったなあと、
   ちょっとだけ後悔してもおります。
   それぞれの乱闘を書いてったら、またぞろ長丁場になるんだろうか…。(う〜ん)